福岡おやばか会のブログです

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母だってひとりのただの人間だった

これもまたご存知の方もいらっしゃると思いますが

わたしの実母は今年の6月に他界しました。

死因は肺がん。発覚したのは3月のことでした。

 

がんが発覚した時、

「がんなら治るから、まだよかった!

くも膜下出血とか交通事故で突然死ななくてよかった!」

と本気で思っていました。

 

でも見つかったときはすでに末期で、脳にまでたくさん転移していました。

すぐに入院したほうがいい、と言われましたが

母は悩んだ結果、内縁の夫との旅行をしたり好きな野球観戦をしたりして

いわゆる三大治療をしないことを決めたのです。

 

わたしが即入院したらすぐに三大治療されることはわかっていたから

ほかの選択肢もあるということを提案したことがきっかけでしたが

結局は母は入院治療して苦しむのは嫌だといいました。

不摂生だった食生活も正そうとしましたが時すでに遅し。

好きなものを食べて生きることにしました。

 

 

母が子育て全盛期のころは、おやつは手作りばかりで

生協の食材を使っていつも料理は手作りでおいしかった思い出があります。

お味噌汁はいっつも薄くて、おかずにはならなかったな。

20歳でわたしを産んだ母はいつまでも若く、わたしたち兄弟が小さい頃から

ママさんバレーをしたり、バドミントン、仕事のかけもちと

楽しそうに自由奔放にしていました。

比較的生活に余裕があったので、何不自由なく過ごしているかのように見えていました。

 

でもわたしが大人になって親になって、振り返ってみれば

隣にお姑さん(いじわるで有名笑)が住んでいていつも嫌味言われて

かなりの田舎に引っ越して買い物は車が必須だったり

田舎だったからこそ情報はいろいろ筒抜け。プライバシーあったのかな。

今みたいにSNSもない。

携帯電話さえなかったから、子育てしかなかったと母は言っていました。

 

そんな中、家事育児をしてパートして、運動して。

28歳には4人のこどもを産み終えて。

家事育児に不協力で亭主関白な父も支えて。

大変だっただろうな。。。

 

 

わたしたち子どもが大きくなってからは、

離婚して自分の楽しみをさらに広げたり

そこそここだわっていた食もおろそかになり

カップラーメンや菓子パン、お菓子ばかり食べていました。

 

近年の母はとても若々しく、生き生きしていました。

 

 

 

大人になって、親になってわかる。

ついつい親に完璧な理想図を求めてしまうのがこどもだから

わたしは母にいろいろ求めていた。

常識はずれな部分や、家庭的に見えない部分、

わたしが長女でしっかりしてるからと放任されていたことに対し

不満を持っていた。

 

人間、だれでも完璧じゃない。

母は、母なりの精一杯を生きてた。

 

わたしは、こどもたちにそう思ってもらえるかな。

いつか突然母のように死んでしまったら、もう会えないんだけど

心の底から愛しているんだよって伝えたい。

 

母がいなくなって、もう35の大人だけどとてもとても寂しくて

遺品を見返しては泣き、遺影とお骨に話しかけては懐かしみ、

母からもらった洋服を着てでかけて突然外で号泣したり。

 

 

母は誰の悪口も言わなかった。

そんな母が地獄にいってるはずはないんだけど

今おだやかで幸せに過ごしていることを祈るばかり。

 

「死ぬ」ということは人生の幸せを全うしたということ

というような意味を先日友人に教えてもらったけれど

確かに近年の母はとてもとても幸せそうでした。

波乱万丈な人生だったけれど、全うしたんだな。と思うことにしました。

 

 

こんなに時間がかかってしまったけれど

人に完璧を求めるのはやめよう。

「母」とか「親」とか関係なく、ただの人間だった。

そしてわたしもそう。

 

わたしは 本当はどうしたいの?

どう生きたいの?

本当にそれがしたいの?

 

ついつい忙しい日々や周りに流されがちだけど

後悔がないようにやりたいことは全部やりたい。

 

 

この長い長いブログを読んでくださった方々の夢も

全て叶いますように。

後悔しないように、やりたいこと全て言葉に出せますように。

ありがとうございました!